自己破産するまでに至った経緯
今から14年前の平成20年2月9日に自己破産の免責許可が確定された当時28歳の私ですが、23歳で結婚しておよそ5年間で破格の1,400万円の借金を作りました。
この借金の額に驚くかもしれませんが、私は法人ではなく個人で安月給のサラリーマンです。
まず借金を作った経緯ですが、贅沢すぎる生活と浪費が原因だと今でも深く反省しております。
当時私は、業界では大手の車屋に勤めてまして、年収自体は300万円前後と少ないものの、ネームバリューだけで金融会社はどうぞどうぞと言わんばかりにお金を貸してくれました。
総量規制(年収の3分の1までしか借りれないこと)もまだ発動されていない時代ですので、勤め先の会社の規模が大きい、いわゆる信用があると年収額を越えても借り入れできました。
自転車操業を繰り返す日々
カードローンの空き枠からお金を下ろして他のローンやクレジットの返済に充てる。
返済するためにカードローンや銀行のローンを組むといった自転車操業の負のループに突入して3年くらい粘った私ですが、さすがに限界を感じ始めました。
この時期から債務整理(自己破産)をネットで調べたりしたのですが、10年間のブラックリスト入りとか、自己破産したことが他人にバレるなどネガティブなネット情報に私は「絶対自己破産だけはしないぞっ…」と心に硬く誓いました。
しかしながら、日に日に膨らむ借金の返済に身も心も追い込まれ、妻を名義にローンを組んでもらったり、母親と兄に頼み込んでカードローンや銀行のフリーローン、はたまた信販系のローンなど3人合わせて700万円近くの借り入れをさせてしまいました。
さらに兄には、頼み込んで私の連帯保証人にまでなってもらったのです。
返済不能になり督促の日々が始まる
私は、仕事で事務兼営業をしてましたので会社で私宛に掛かってくる個人名での督促の電話応対は、「そんなんですか!」とか「はい!かしこまりました…」など常連さんと電話するような話術で職場の仲間にバレないように過ごしました。
もちろん、毎日鳴り響く携帯の着信履歴は督促の着信で満員御礼でしたので、着信拒否をしまくる日々。
そして、疲れ果てて家に帰ると、ポストには赤、黄色、青など信号機を思わせる色彩を使った目立つ督促状がぎっしり。
正直、多重債務に陥ってから借金がいくらあるかも計算したこともなく、「どうにかなるだろ…」と現実逃避してきた私にもさすがに限界が訪れ、街でたまたま行われた無料債務相談会に仕事を休んで行くことにしました。
遂に自己破産を決意
弁護士の先生に包み隠さず今までの借金の経緯をお話しして、聞きたいことを紙にまとめて来たので一つ一つ質問をしました。
弁護士に自己破産手続きを依頼して受任通知書を出してもらった結果
冗談抜きで世界が変わりました。
何て言うか心のモヤモヤがなくなりすっきりと晴れた気分というか…。
会社と携帯への催促の電話、ポストにぎっしり敷き詰められた督促の派手な手紙がすべて来なくなりました。
もちろん、支払いも全てストップしたので給料日前日に支払い計算で悩まされることもありません。
自己破産の費用に関しては、元々お金が無いのに一括なんて到底無理なので、弁護士の先生に相談して国が設立した支援センターの法テラスに書類を揃えて申し込みました。
数日後、連絡が入り法テラスの審査が通ったとのことで、あくまでも私の場合ですが、費用20万円を5,000円の分割で支払うことが決定しました。
しかし、破産手続き後は良いことばかりではなく、私の車は会社から購入したリース車で残債がまだ200万円程残っていましたので引き上げという結果になり、共働きしているに妻名義の軽自動車1台のみとなってしまいました。
そして、兄の働く工場には連帯保証人に付いていた信販会社から何度も督促の連絡があったようで、兄にはかなり迷惑を掛けてしまいました。
母親は、私がお願いして無理やり作ってもらったカードローン3社の支払いを続けていかなければなりません。
こうして結果的に家族に多大な迷惑を掛けることとなり、何故もっと早めに自己破産を決断しなかったのだろうかと、もの凄く遅いのですがとてもとても後悔しました。
自己破産後の生活の変化や手続きについて
破産手続き中は、定期的に弁護士事務所に出向き、生活を再建するために家計簿の提出や申し立てに使う書類の提出をしました。
弁護士の先生によって若干は異なるとは思いますが、私を担当してくれた先生は、ローンやクレジットカードに頼らないで生活する方法や何で自己破産するまで至ったのかを細かく説明してくれて、落ちこぼれの私をビシビシ指導してくれました。
正直、先生から指導を受けたとは言え、私の月15万円程度の安月給でカードローンやクレジットカードに頼らず家族3人で生活できるのだろうか?と思ったのですが、この先5年から10年は信用情報に傷が付くことになり、世間で言ういわゆるブラックリスト入りで借り入れができません。
私は先生と何度も話し合い、仕事を辞めて地元から少し離れた給料の良い会社に転職することに決め、家族3人での再出発を誓いました。
今私が考える自己破産への思い違いと学んだこと
当時の私は、自己破産=人生終わりという身勝手な定義が定まっており、その考えを覆すまでの期間に相当被害を拡大させてしまいました。
自己破産についての正しい知識が過去の私にあれば、例え多重債務に陥っても母や兄、妻にまで多大な迷惑を掛けることはなかったでしょう。
私はこの自己破産の実体験を通して、数えきれないぐらい様々なことを身をもって学びました。
この私の体験がこのブログを通して、皆様のお役に少しでも立てれば幸いです。
自己破産から学んだこと
- 多重債務で支払い不能になる前に相談するべきだった
- 家族に返済の肩代わりや連帯保証人になってもらう前に弁護士に相談するべきだった
- 自己破産は決して人生を終わらせるものでなく、むしろ新たな人生のスタート地点へ導いてくれる手続きだった